とても個人的なことだし、誰かの役に立つことでは決してないけども
したためました。
ただ、留学してみたいけど、どうなのかなって思っている人にとっては一経験者としての体験談として、参考になるかもしれません。
めっちゃくっちゃ長文(笑)
わたしは、ニュージーランドに来ています。

2001年1月12日
ミレニアムイヤーの熱も冷めやらぬ頃、
雪のちらつく様子の窓の外を横目に
私は明日に迫る出発の準備に追われていた。
生まれ育った町を11ヶ月離れることを知ってお別れや励ましに訪れてくれた友人もいた。
餞別にくれた手紙や、
私のためにセレクトしてくれた
当時の流行りのJ-POPの詰まったMDを
大切に眺めていると、
なんだか一生の別れのような気持ちになってきていたのも確かだった。
当時、インターネットもまだまだこれから。
ようやくmsm(hotmailね!)チャットがはびこってきたくらいの時。
高校の1年間を海外で過ごすということは
ど田舎の若者にとってみれば、宇宙旅行に匹敵するくらいのことだったかもしれない。
留学先にニュージーランドを選んだのは、姉の影響。
3つ上の姉が高2の頃、短期留学に選んだ地がそこだった。
思春期真っ只中で常に不機嫌&無口だった姉が、ニュージーランドから帰国した当日だけはキラキラした目で経験したあらゆることを楽しそうに語ってくれた。
内容は実はあんまり覚えてないのだけれど、
姉の変わりっぷりに驚愕して行ってみたくなったのは事実。
クラスの中で同じ時期に留学に行く生徒は私を含め8人。
ニュージーランドを選んだのは私一人だった。そのため出発も一人。
小松空港で母が見送ってくれた姿は今も目に焼き付いている。
到着して2週間は語学研修を受けた。
到着連絡はコレクトコール。
滅多に電話なんてかけられないから
研修が終わり、自分が10ヶ月暮らすホストファミリーの家に到着した時にやっと実家に電話を入れた。
電話越しに初めて母の泣き声を聞いて、とても戸惑った。
後にも先にもその時だけ。
10ヶ月を共にするホストファミリーは
当時60歳同士のご夫婦のお家だった。
敬虔なクリスチャンで毎週日曜は必ずミサに行く。
とにかく優しくておだやかでユーモアもあって、祖父母世代のお2人を親しみを込めてMum&Dadと呼ばせてもらっていた。
学校の友人にも恵まれていた。
私を含め日本人留学生も5人ほど。
そのほかにも中国、韓国、カンボジア、ブラジル、ソマリア、ドイツ、フランス、オランダ、フィンランド....挙げればキリがないほど。
私のホストファミリーにもオランダ人の3つ上の留学生が一緒にホームステイしていて
休日にはよく一緒に街に連れ出してくれたりした。
恵まれていた。とても。
そんな恵まれていた環境だったのに、
当時はそんな風に思えなかった。
せっかく来たニュージーランドなのに、
ずっと早く日本に帰りたいとばかり思っていた。
今思えば、出発前に感傷的になりすぎてしまった気持ちを引きずってしまっていたのかなとも思う。
早く帰りたいと考え続けてしまうきっかけになった事件が留学2ヶ月目で勃発。
原住民Maoriと移民Chineseとの殴り合い事件。
人種差別が根強く残ることを知り、
ニュージーランドでの日本人、またはアジア人という位置付けがいわゆる底辺に近いところにあると植え付けられ、思いっきり自信をなくした。
ことあるごとに、ずぅっと「Sorry」て言うてた気がする。
その度にMumは「Don't be sorry, just be happy!」ってウィンクつきの満面の笑みをくれていた。嬉しかった。
でもそれも失った自信のない心の奥には届いてなかった。
更には、2001年9月11日同時多発テロ。
もしかしたら日本に帰るのが予定より延びるかもしれない、なんてウワサもはびこったくらい。
衝撃的で、怖くて、すぐにでも日本に帰りたかったのが本音だった。
そんな状態だったから、
11ヶ月後の日本に戻れるのも嬉しかったし、
日本に戻ってからはニュージーランドを、
恋しいと思ったことがなかった。
ホストへの恩はあっても、
形にしてお手紙やプレゼントを送ることもなく、私は音楽や目まぐるしく変わる世界についていくのに必死に、夢中になっていった。
ハタチの頃に少し塞ぎこんだ時期もあって、連絡先も分からなくなってしまっていた。
あれから19年。
3年ほど前から行きたくて仕方がなかった
ニュージーランド。
気にかかり出したのはホストが高齢になってきていること。
当時60歳だから80歳近くになっている。
最悪の事態も考えられる。
そう思いを馳せていたら、
やっぱりこのまま会わないままだなんて絶対に嫌だと思った。
当時の日本人留学生仲間に連絡を取って
ホストのメールアドレスをゲットしたものの、エラーで、跳ね返ってくる....
まさか...
近くに住む息子さん夫婦がいたことを思い出し、建設業を営んでいることがわかり、Facebookページにたどり着けた。
そこからメールアドレスをゲットして
息子さんに連絡してみると...
お返事が、帰ってきた...!!!
Mum&Dadもご健在!
ただ、お2人とも入院していることが判明。
面会は出来るそうなので息子さんが連れてってくれる約束をしてくれた。
もう、なんだか本当に奇跡みたいで。
会いたい人に会いにゆける幸せ。
本当に本当にありがとうって言いたい。
今回のニュージーランド行き。
19年前と同じ、1人旅。
ホストに会いに行くことはもちろん最大の目的ですがもう一つ。
19年前の留学中に掲げた目標
「まだ触れたことのないものに触れ、今後の人生と表現活動の糧にする」
時を経て、この答えを出したいと考えていたのかもしれない。
あの1年の糧は、どんな肥やしになってどんな土壌をつくり、どんな種をまき、芽がでて、花は咲いたのか。
なくした自信や誇りのカケラを取りに帰りたかったのかもしれない。
滞在は3日間。
どれだけのことを感じ、触れ、何を思うのか。
言葉に出来ることと出来ないこととあると思う。
だから相棒のギターも一緒に。
入院中のホストに歌を聴いてもらおう。
着陸まであと5時間のAir NewZealand機内にて。
※まさかのあのリーチマイケルさんも同じヒコーキ乗ってはってビビりましたん!!